ウズベキスタン
子供んのしが世話ぃなっちょった先生が、今年 定年退職しゃった 定年の ゆえを 昔んPTA役員で すっが ち ない のん方を しもした こん先生現役んころから わっぜえ元気な おなご先生じゃった 「ウズベキスタンに いたっ 日本語を ゆっかせぇっ きもんで」なんち?皆ひったまっがったど 「みっこ先生は 日本語じゃのして かごっまべんやろ」 まこち 日本大使館が ウズベキスタンの教育委員会が ゆ 許したもんじゃ? 本人な しれっしちょっど ずるっボランティアじゃっげな?しかし よか仕事っみひけたもんじゃっ みっこ先生にゃ びんたが あがらん ウズベキスタンから定期的に写真つきメールが おくっきもんど 標準語を かたいがならん みっこ先生が どげな かごっま弁を ゆっかっすったろかい?
近況のメールどん のせっみろかい?
「秋が深まりつつあります。こちらの紅葉は赤が少なく黄色に変わる葉っぱが多いです。
秋になって雨が降るようになりました。ざーざー降っても数時間ですぐやみます。
さて、私がサマルカンドに生活するようになって6ヶ月になろうとしています。
残り半年になったので、3泊4日のウズベキスタン国内旅行に出かけました。
ガイドはアシスタントのアクマル君です。ジョビド君も一緒です。世界遺産の遺跡が集まっているヒバ、ブハラ、ティムールの生誕地シャフリザブズの3箇所を観光しました。列車の中では若い女の子が日本に研修に行ったらしく、日本のこと(特にきれいなトイレ)が話題になり、盛り上がりました。
ヒバの要塞の中の美しい風景、ブハラの1万5千人がお祈りするモスクやイスラムの高僧が説法するところ、ティムール帝国を創ったティムール像などたくさん見てました。
2000キロの旅で、列車、飛行機で1000キロ、残りの1000キロはタクシーを使いました。砂漠の道路は果てしなくまっすぐで地平線まで続いていました。途中、国内なのに何度も検問がありました。ドライバーの免許証を見るだけでしたが、やはり、大陸の外国です。
観光客はほとんどヨーロッパ人で日本人と会ったのは3人でした。(若い学生風の男性1人とOL風の女性2人)
いつもの川添スタイルで写真を撮りましたので見てください。
とんだハプニングがありました。ウズベキスタンのテレビが取材に来ており、日本人の私にお土産の手作り帽子やバックなどについての感想を求められました。
いつのも鹿児島弁でしどろもどろ答えました。フォローはアシスタントのアクマル君が私が言った以上に詳しくべたほめした翻訳をしてくれて事なきを得ました。テレビ取材のビデオカメラはやっぱりSONYでした。「ソニーですね」と言っただけでカメラマンと通じました。
もう一つ、三菱のジープが遺跡発掘用にと寄贈してありました。「さすがー三菱!!」と言いながら鼻高々になることでした。以上サマルカンドからでした。」
ないがなし おもして先生やっど 土産話が たのすんじゃっ。
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